バリ・ガムラン講座2

最初の講座から、ちょっと道草^^;
最初の講座は一応、系統立てて話を進めているので、あれこれと話が飛びたくなっても、ちょっと書きにくい。
そんなことなら、道草コースを作っちゃえ、というのがこちらの講座。
ということで、話はあちこちに飛ぶと思いますが、中身はまじめです。

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1.グンデル・ワヤンの楽曲名--その1

 バドゥン・スタイルの楽曲名には、動物の名前がついたものや、面白いタイトルのものが結構ある。今回は、私が動物シリーズとして認識している動物名前の入った楽曲名の意味を解説しよう。

"チュルチュック・プニャCerucuk Punyah"
 チュルチュックとは、木の茂みなどにいて、「ピチピチピチピチ」とにぎやかにさえずる鳥である。この曲は、「チュルチュックが酔っ払う」という意味で、チュルチュックがお酒を飲んで、だんだん酔っ払って、だんだんにぎやかになっていく様子をあらわしている。
"チュチャッ・マグルッCecek Magelut"
 チュチャッとはバリ語でヤモリのこと。この曲は「ヤモリが抱き合う(要するにヤモリの交尾)」という意味である。
"スサピ・ンギンダンSesapi Ngindang"
 スサピはバリ語でツバメのこと。ツバメは2種類いるそうですが、スサピは総称。ンギンダンとは、翼をはばたかせながら空を飛ぶ、という意味である。バリ語には翼をつかって空を飛ぶ動作に対して、はばたくか、はばたかないかで単語を使い分けている。この曲は「つばめが空を飛ぶ」という意味。
(注...お気づきの方へ。実は論文では間違って解説してしまいました。スサピは「牛」ではありません。ごめんなさい。ここに訂正いたします。)
"ムラッ・ンゲローMerak Ngelo"
 ムラッは翼が退化してしまって飛べない鳥である。現在、バリに生息しているのかどうかは不明である。この曲は「ムラッが(ホバリングしながら)空を飛ぶ」という意味。ンゲローとは、翼を羽ばたかせずに空を飛ぶという意味のバリ語である。この曲は、ムラッがあるとき、鷹などのようにはばたかずに空を飛ぶ夢を見た、という話に由来する。
"ドンカン・ムネッ・ビウDongkang Menek Biu"
 ドンカンは大きな蛙。「蛙がバナナの木に登る」という意味の曲です。でも、バナナの木の幹はつるつるすべる。蛙が「んしょっ」と登っても、つつ〜っと落ち、登っても、つつ〜っと落ち、そんな様子をあらわした曲。実際に、蛙はバナナの幹には登れないそうである。
"ルラサン・ムガッ・イェLelasan Megat Yeh"
 ルラサンはトカゲのことである。この曲は「トカゲが川をせきとめる」という意味。トカゲが自分の体で川をせき止めようとして、あれ〜っと流される、岸にたどり着いてはまた挑戦し、あれ〜っを繰り返す、そんな様子をあらわした曲。さきの蛙も面白いけれど、この曲の発想も面白い。
"カタッ・ンゴンケッKatak Ngongkek"
 カタッはがま蛙ぐらいの大きさの蛙。夜になると現れて、ありや蚊を食べてくれる。この曲は「カタッが(冗談交じりに)鳴き合う」という意味。よく田んぼで蛙がケチャしてるなどといいますが、その様子をあらわしたもの。
"チャガ・ムレンガンCangak Mrengang"
 チャガは、鷺の一種。現在は、バリに生息していないといわれている。この曲は無理やり日本語に訳せば「チャガの鋭いまなざし」となる。ムレンガンというのは、首をキパッ・キパッKipak-kipak(首を鋭く横に動かし、一定の角度でその動きを止めること)して、あたりを見まわす様子をあらわした言葉。この動作を表すのに適当な日本語が見つからないのだが...。
"トゥラン・リンドゥンTulang Lindung"
 「うなぎの骨」という意味。この曲は、ワヤンの幕開けの組曲プムンカの中でも用いられるものであるが、この曲を単独で演奏することもある。

一説によると、これらの動物シリーズの曲は、ワヤン・タントリ(『キドゥン・タントリ(タントリ姫の物語)』を影絵芝居で演じるもの)のために用いられた、ともいうが、バドゥンではワヤン・タントリが絶えて久しいので、詳細は不明。

2.ワヤン・プンルカタンWayang Penglukatan

 ワヤン・プンルカタンは、人が病気を長くわずらったり、悪いことが続いたりした時に、その災いを祓うために行なわれるワヤンである。たいていはドゥクンなどに伺いをたてると、ワヤンが必要だなどといわれ、行なわれる。
 演じられる物語は、結構限られていて、マハバラタのお話から派生した『スリ・タンジュン』という演目や、『スタソマ』などである。スリ・タンジュンは高僧の娘で、チュプ・マニック・アスタギナという宝石で飾られた薬ビンを持つ、神聖を帯びた姫である。この薬ビンには、死者をよみがえらせることのできる力があるとされていて、病気平癒の祈願にこの演目が演じられるのである。
 『スタソマ』はスルヨ王の若かりし頃の物語であるが、これについては、まだ詳細をよく把握していないので、これは後日追加することにする。

3.ロンバ・ポップ・バリ Lomba Pop Bali

 ポップ・バリ(バリ語のポップス)はPKB(バリ州芸術祭、通称アート・フェスティバル)でもロンバ(コンクール)が行なわれるが、ラジオ局主催で行なわれるものも多い。
 ポップ・バリは、歌手が自分でレコーディングをして、それを売り出す場合もあるが(日本のインディーレーベルや、自主製作にあたるシステム)、ラジオ局のロンバで優勝すると、その場でラジオ局などの後押しでレコーディングが決まることもある。
 今年、インドネシア国営ラジオ、デンパサール支局のロンバに参加して、優勝したのはコマン・パンドゥKomang Panduである。このロンバの方法をコマン・パンドゥに聞いた。
 ロンバの参加者は、まず始めにエントリーして、その際に課題曲の伴奏テープを受け取る。この課題曲は新曲である。この課題曲をそれぞれの参加者が自宅等で練習して、本番に臨む。ロンバ当日、上位3位までが決められるが、優勝者はこの課題曲を自分の持ち歌とすることができるのである。同時に、レコーディング日程が決められ、製品(カセットテープ、VCD)化がすすめられることになる。この際、プロモーション・ビデオ等も撮影されるという。
 しかし、残念ながら、コマン・パンドゥは多忙で、レコーディング日程がはかれていない。レコーディング日程も、人気のない街中や、建物の中などで行なうため、夜中だったり早朝だったりするのである。現在、コマン・パンドゥの持ち歌は、コンクールの時の録音が放送されている。製品版は、2位の歌手がうたうことになるかもしれない、とのことである。

4.ポップ・バリとガムランのナダ(調)

 ポップ・バリがなぜ、この講座にあるのか、不思議に思われたかもしれない。実は、ポップ・バリはバリ語のポップス、というだけではなくて、ガムランとの融合がはかられた面白い音楽となっていることもあるので、ここでとりあげているのである。
 おそらく、一番最初に市場に現れたガムランと融合したポップ・バリのテープは、OKIDというグループのOgoh-ogohだと思われる。1994年にはすでに市場にでていたが、いまでもニュピが近づくとこのテープのタイトル曲が放送されている。使われているガムランはブレガンジュールで、オゴオゴ(ニュピの前日夜に行なわれる、張りぼての悪霊たちの像のパレードのようなもの)の雰囲気を出したものである。この当時は、曲が始まると、ガムランはシンセサイザーにかえられており、タイトル曲以外はガムランの調をシンセサイザーで代用したものばかりであった。それ以降のポップ・バリも、ガムランの生の音を使ったものはなく、中国調、ダンドゥット調などが主流をしめていた。
 ところが、2000年のPKB(バリ州芸術祭=バリ・アートフェスティバル)期間中にアートセンターで行なわれた催しで、ガムランを直接使ったポップ・バリを見ることになって、シンセサイザーの利用になるほど、と頷くことになった。
 この催しは、バリ・ポストが主催した催し(バリ・ポスト52周年記念行事)で、子供のポップ・バリと、大人のポップ・バリを聞かせるものでもあり、子供のポップ・バリのほうは、新作テープのデモンストレーションにもなっていた。このとき、ガムランを曲の中で直接使ったのである。
 使われたガムランは曲によって、ゴン・クビャール(ペロッグ音階、スリシール調)、アンクルン(スレンドロ音階、4音のもの)などであった。このときに参加していたガムラン奏者たちは、実は友人たちだったので、練習過程の話を聞くことが出来た。まず、難しかったのは、ガムラン奏者側が曲を覚えること。通常のガムランの理論で演奏するとは限らないので、曲の進行がつかめず、苦労するものもいた、とのことである。次に難しかったのは、歌手側が、ガムランの調をしっかりとらえること、だったという。ガムランでも、アンクルンの調は、比較的歌いやすいとされているが、ペロッグ音階のものは、難しいのだという。実は催し当日、大人の歌で、1曲だけデュエットがあったのだが、この曲に限って、ついに最後まで音程が狂いっぱなしだったのである。
 練習はかなり頻繁に、念入りにされた。催し当日のセッティングは、舞台上手にバンド(ギター、ベース、ドラム、キーボード)が、舞台下手にガムランが置かれ、中央で歌手が歌い、楽器と歌手の間で、バックダンサーが踊る(これもまたバリ風の踊りなのだが、決して伝統的な踊りというわけではない)というものだった。このガムランを使った試みは、大変面白いもので、私はてっきりこのまま製品化するのだと思い、製品を楽しみしていた。しかし、のちに製品版ができてみると、製品版のほうはシンセサイザーの音に変えられていた。
 なるほど、舞台ではガムランを使っても、録音までは手間がかかるので、ガムランを使えない、しかしガムランのナダを使いたい、というときにシンセサイザーが使われているのだ、と納得ができた次第である。
 ちなみにポップ・バリを聞いて、なんだこのコード進行は?!と思うこともあるだろうが、西洋音楽の理論でポップ・バリを聞いてはいけない。特にガムランと一緒に演奏する場合、ガムランのナダの進行が優先なのである。

 参考までに、このとき、メインで大人の歌をうたったのはワヤン・タローWayan Taroで、特に光っていたのは、子供の歌のムラヤンガンMelayanganをうたったリアナLianaである。リアナはポップ・バリのロンバで優勝した女の子で、声の伸びのよさが並ではない。顔と体つきをみなければ、大人がうたっているのか、と思わせる声質と声量であった。残念ながら、製品版ではガムランは使われていないが、次のテープにムラヤンガンが収録されているので、参考にして欲しい。
"Bianglala"(Gending Rare 2)Produksi Graha Nadha
このテープ中の曲で舞台でガムランを使った曲・( )内は歌手名
Bianglala(Liana), Melayangan(Liana), Pul sinoge(Liana+Back vic)

5.ングラワン Ngelawang(バロンの門付け)

 バロンBarongとは、バロン・ダンスでおなじみの、あのバロンである。森の王である獅子の姿だといわれているが、詳細は不明。日本の獅子舞に似ているので、日本ではよく知られた存在だと思う。
 このバロンが、門付けをするのである。ガルンガンの次の日、すなわちマニス・ガルンガンの日(バリ暦のうちのウク暦、第11週目、ドゥングランの週の木曜日)からクニンガン(ウク暦第12週目、クニンガンの週の土曜日)にかけて、子供達がバロンを踊り、ガムランを演奏して、各家庭を廻るのである。特に、マニス・ガルンガンとクニンガンの日に多く見られる。バロンは、各家庭の門前でひと踊りし、その家庭の安全を祈る。そして、その返礼として子供達はなんらかのご祝儀をもらう。
 このングラワンは主に、バングリとタバナンで行なわれている。ガムランはブレガンジュールだが、集落によって、子供用の小さなものを使うこともあり、その場合には、なんだかおもちゃのガムランのような音がしているのがかわいらしい。
 バロンの方は、実はかなりの種類があるのだが、今回(2001年9月27日)、バングリで見られたものは、バロン・マチャンBarong Macan(虎のバロン)と、普通のバロンの体を簡略化したもの(子供用に)、バロン・バンカルBarong Bangkal(オスの年老いた豚のバロン。牙がある。ちなみにメス豚はバロン・バンコンBarong Bangkongといい、牙がない)であった。
 ちなみに、大きなホテルのある集落が、集落で大きな資金を必要とするときに、地域内のホテルでングラワンすることもある。たいていはガルンガンなどのお祭りのための費用(集落で共同でほふる豚の購入資金など)だったり、子供たちの教育のため(子供ガムランの公演準備費用など)などの寄付金集めのために行なわれるので(ビジネスではない)、これがいつ行なわれるのかは不定期である。ホテルの部屋のドアがノックされて、出てみると入り口に子供ガムランとバロンがいた!などということは、かなりの幸運である。

6.チェンチェンとリンチックCeng2 & Rincik

 チェンチェンというのは、ゴン・クビャールや、プレゴンガンなどというガムランの中にある、小さなシンバルを5つか6つ台に固定し、上から両手にひとつづつもった小さなシンバルを打ち合わせる楽器で、「ckck/ckck/ckck/ckck」(/は拍の区切り)と1拍を4つに刻む奏法をするものである。
 しかし、ガンブーやスマル・プグリンガンでは、台に2つしかついてない、しかも両手に持つ方のシンバルには、長い木の持ち手やら、飾りのついたシンバルがある。こちらがチェンチェンの仲間、リンチックである。このリンチックは、台が双蓮華座になっていたり、ひとつがいの鳥になっていたりして、総じて美しい楽器なので、気がつく人にはとても印象深い楽器である。
 しかし、リンチックはチェンチェンとは大きく奏法が異なる。リンチックは拍を刻まない。旋律を大きく8拍周期でとったとして、ゴングをその最後にくるように旋律をとると、2、4、6、7、8拍(「・/c/・/c/・/c/cc/c」で鳴らされるのである。したがって、演奏法的には拍を刻んで太鼓に同調し、華やいだ雰囲気をだす楽器ではなく、拍節をしめすことで、曲の骨格を示す役割を持った楽器であるといえる。リンチックから発展したであろうチェンチェンは、楽曲における意味が変わってしまったのだ。リンチックについていた長い木の持ち手は、リンチックとしてもちいるのに、便利な長さだったのだが、チェンチェンとして用いるには不適切(両手がはやくは動かせない)である。こうして楽器も変化してゆく。
 この楽器の典型は、カマサン村のスマル・プグリンガンに見られる。ここのリンチックは、つがいの白鳥の姿でとても美しい。ちなみにこの村のスマル・プグリンガンこそがフルセットのスマル・プグリンガンだといわれており、他の村のスマル・プグリンガンでは見かけない、あるいは省略された多くの楽器を見ることが出来る。

*写真館参照

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